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市史編さんだより 第3号

更新:2019年1月15日

よつかいどう市史編さんだよりのロゴ

物井の歴史展 開催報告

物井の歴史展のバナー

~遥かなる下総国物部郷~古屋城跡広場開城記念企画展

平成30年3月20日から3月26日(21日のみ半日開館)、古屋城跡広場の開城(開設)記念として、「物井の歴史展~遥かなる下総国物部郷~」を開催いたしました。

今展は物井区が主となって企画、寺院本堂を展示会場にするという国内においても類を見ない方法で開催いたしました。これは地域の皆様の声があってこそ実現できた歴史展です。

原始・古代から中近世までの考古資料、地域秘蔵の市指定文化財・仏教美術品などを期間限定公開(初公開多数)、物井地区の歴史的魅力を存分にアピールすることができました。一方でまだまだ未公開の遺物・秘宝が日の目を見ず眠っています。

そして四街道市文化財ボランティアガイドの会の全面的協力を得て会場設営、展示品解説も行い、6日間にもかかわらず926名(文化財散歩参加者含)の方々にご来観いただき、大盛況の中、終了しました。本当にありがとうございました。

  • 会場:霊嶽山円福寺本堂
  • 主催:物井区会
  • 共催:四街道市教育委員会
  • 協力:史料所蔵者の皆様・文化財ボランティアガイドの会・他

会場の様子写真1
会場の様子1

会場の様子写真2
会場の様子2

平成29年度企画展「物井の歴史展」詳細ページへ

よつかいどう社寺紀行(1)物井御山の不動堂

菩提山弘覚院金剛寺不動堂の写真
菩提山弘覚院金剛寺不動堂

  • 文責:市史編さん室(市史編さん室再検証)

市有形文化財指定35周年特集

物井御山の不動堂とは、物井地区字御山(千代田公民館一帯域)の菩提山弘覚院金剛寺(ぼだいざんこうかくいんこんごうじ・以下、金剛寺)の一堂宇として建立された寺院内お堂の一つです。文政期の1817年前後に現在の不動堂を再建、今から35年前の昭和58年に四街道市有形文化財として指定されました。

開山当初は真言宗智山派であったと考えられており、後に豊山派へ転派。江戸時代は檀家を持たない祈願寺、修験の場として、また栃木県の仏手山金剛王院鶏足寺末寺でした。
この不動堂には、当時秘仏であった不動三尊像(不動明王・矜羯羅童子・制?迦童子)が現在も祀られています。門徒には近隣の正福寺(長岡)、宝性寺(佐倉市大篠塚)がありました(櫻井家文書201番)。

不動堂彫刻の写真
文化文政期「左甚五郎」に連なる彫刻師作と考えられる

法脈(金剛寺僧侶の系図・櫻井家文書231番)からは、金剛寺、臼井台実蔵院、物井円福寺各僧侶の深い関わりや、法統から真言宗醍醐派・高野山真言宗の流れが窺えます。

金剛寺は、これまで室町時代中後期(1455年から1486年頃・戦国時代初期)に真言密教の道場として創建されたと考察されていました(日色義忠『四街道市の文化財 第22号』)。

創建年代を推定できる現時点で唯一の史料としては、戦国時代に編さんされた千葉家記録書『千学集抄』の中で「永正2(1505)年乙丑11月15日、昌胤御元服につき」の項において、千葉妙見宮(現千葉神社)で行われた千葉家当主「千葉介勝胤」の嫡男「昌胤」元服式の際、参列した重臣層の中に「金剛寺少弼(しょうひつ)」という人物が列しており、この少弼は金剛寺僧侶であると酒々井町文化財審議会々長の高橋健一氏によって研究発表され、その後の研究で当寺侍・補佐官とも考察されました。

年代から千葉介先代の孝胤と次代勝胤の佐倉千葉家若しくは臼井家の重臣、且つ千葉御一家の物井古屋城々主物井氏などに深く関係する寺院であったと考えられます。

文化文政期の見事な御堂の彫刻2の写真
文化文政期の見事な御堂の彫刻2

金剛寺の規模は1間=約1.8mで換算して「境内 東西62間(112m) 南北120間(216m)、客殿 表6間半(12m) 裏六間半(10m)、庫裡 表6間(13m) 裏3間(5.5m)、不動堂3間4面(6m)、羽黒大権現 表3間(5.5m) 宮裏2間(3.8m) 熊野大権現」とあり、現おやまつきみ公園周辺から不動堂、千代田公民館周辺まで広大な敷地を誇ったことが窺えます(櫻井家文書187番)。

同文書からは大破した金剛寺の修復費用工面のため、物井村が操り芝居の開催許可を奉行所へ願い出ていることも確認できます。

そして金剛寺境内に繁る「熊笹」は、かつて佐倉城下町名物『笹飴』の材料として使用されていました(『よつかど第12号』)。

現不動堂の建築形式は方3間の単層入母屋造りで、再建築時期は建築様式や境内石造物の刻銘等から、江戸時代後期の文化年間1817年前後と推定されています。海老虹梁(えびこうりょう)や桁隠し(けたかくし)に取り付けられた彫刻などその芸術性に圧倒されます。

御堂内須弥壇の見事な彫刻3の写真
御堂内須弥壇の見事な彫刻3

千代田公民館ホールの緞帳の写真
千代田公民館ホールの緞帳

これらに加え、鏡天井には右より音楽飛天(天女・右側)、飛龍(中央)、散華飛天(天女・左側)が描かれ、鎌倉時代以降の禅宗様建築に現れる彩色画は、不動堂が市内唯一のものとなっています。この天女像は千代田公民館ホールのどん帳刺しゅうのモチーフとなっています。

かつての参道から見上げた不動堂の写真
かつての参道から見上げた不動堂

現在の参道下の不動谷(ふどうやつ)は全て宅地化されていますが、以前はもんじろう坂下の「中ノ久喜の道祖神(じゅうろうぜむの道祖神)」辺りが不動谷の地表部分でした。そして稲荷塚の高台と不動堂の間の支谷で不動堂の平坦地との比高は16m余、住宅用マンションなら6階程度に相当し、参道下から不動堂を望むと「深山幽谷の趣き」と語り継がれた話は容易にうなずけます。

そのほか境内には、3躯の石仏(現仮堂)や石造物が見られます。石仏は権現堂に隣接して祀られていた石造大日如来坐像、石造阿弥陀如来坐像、火防守護の石造秋葉権現立像で、金剛寺廃寺後、天照皇大神社へ合祀され、地域の想いにより再び不動堂に安置されました。

御山繁盛記(平成30年版)

徳川政権となった江戸時代の寛永17(1640)年に、金剛寺を別当とする出羽三山権現堂が開山建立され、周辺一帯(現千代田公民館)を権現森(大竹藪)と呼んだ。

この時、建立記念として創られたのが寛永17年7月大吉日の下総国臼井庄内物部村金剛寺刻銘(1)「(仮称)出羽三山権現金銅製棟札」と同年月日・弘覚院照慶刻銘(2)「両界万陀佛神三宝(出羽三山権現神器)」である。この棟札には八代祖師(龍猛から空海)、その下には「照盛(未詳・照慶師父か)」、そして江戸幕府京都所司代で足利氏一族の板倉周防守を筆頭に錚々たる有力者、一族、物部村の人々の名が刻銘されている。

県内における出羽三山金石文としては、現時点で市原市青柳台の「湯殿山大権現塔(寛永7年建立)」に次ぎ2番目に古い。

この棟札(1)に出羽三山権現開山・願主として刻銘されている「照慶・照覚」であるが、照慶は同時代の成田山金剛王院神護新勝寺の中興以前先師「照慶」と同一人物と考えられ(『成田山史』)、照覚は照慶高弟と思われる。江戸時代中期の金剛寺僧侶には「照尊」など法名に「照」の使用が見受けられ、「照」を通字とする成田山僧侶の影響が強く窺える。

近年の研究においては、この金剛寺権現堂を中心に出羽三山信仰が周辺の臼井筋の村々へ普及されていったと考えられている(田中征志『房総の石仏』第25号)。

これが「成田のお不動様に負けず劣らず栄えた」という言い伝えの始まりである。

文化文政期の見事な御堂の彫刻4の写真
文化文政期の見事な御堂の彫刻4

開山から220年後の安政6(1859)年6月、湯殿山大日如来・月山羽黒両大権現・地主飯綱大権現の一大供養が金剛寺にて盛大に行われ、近郷近在の78ヶ村から奥州参りの代参として690人もの参拝者が参集、物井村の人々は行人用「御神酒弁当(赤飯・煮しめ・氷蒟蒻・ひじき・切干類)」の仕出し、宿場、警護、水番、境内各案内係など村中を挙げて接待した。

翌年の万延元(1860)年6月にも同供養が行なわれている(櫻井家文書「権現山池払之記」)。

当時、権現堂は女人禁制であったが、開帳の際、入り口にて「空海」と云う札を渡すと参詣できたという(『古今佐倉真砂子』)。

また、円福寺所蔵の金剛寺版木「入佛供養 物井里 不動尊開帳仏餉(ぶっしょう)」から、秘仏とされていた不動明王の御開帳が、不動堂の縁日(神仏の降誕日)として例年21日間行われていたことが窺え、多くの参拝者で賑わったことが想像できる。そのほか金剛寺護符など、金剛寺の繁盛ぶりが窺える多くの版木が円福寺に保管されている。

権現堂前には、秋葉権現鎮火の湧水「権現池」と呼ばれる池がかつてあり、もねの里開発の際、中央の「中ノ島」に建立されていた六角堂の礎石が不動堂境内に移された(一個は行方不明)。礎石には「弘覚院 渡辺作左衛門」の刻銘があり、この「渡辺作左衛門」は前述の出羽三山権現金銅製棟札にも刻銘されていることから、金剛寺の有力信徒であることが窺え、中世千葉家・臼井家重臣の「渡辺氏」に連なる一族とも考えられる(前述の金剛寺少弼末裔か)。

そのほか天和2(1682)年造立の光明真言五十万遍読誦塔(「臼井内金剛寺住定傳」の刻銘・市指定文化財)、燈籠(住職「興純」代造立の刻銘・文化文政年間の僧侶)、宝暦8(1758)年の手洗石(住職「快鑁(かいばん)」代造立の刻銘)、金剛寺僧侶の無縫塔(卵塔)など、御神木に囲まれる中、秘かに金剛寺の歴史を伝えている。

不動堂の左側には奥州参りの出羽三山供養塔がたたずんでいる。物井村の人々の奥州参りは、文化7(1810)年の17名が史料上初見である。碑面の三山の神々の位置の変化に、金剛寺が廃仏稀釈にあった事を間接的に物語る。

金剛寺に僧侶が無住となった江戸時代末期には、円福寺、北斗山妙見寺(現千葉神社)の兼帯となり、明治元(1868)年の神仏分離令や廃仏稀釈の波の中で廃寺となった。金剛寺本堂・庫裏は売買・移設され、後に廃された。

その後、権現堂は大日神社として存続、大正元(1912)年12月には天照皇大神社へ合祀された。

御堂内須弥壇の見事な彫刻5の写真
御堂内須弥壇の見事な彫刻5

以下、参考資料。

(1)『印旛郡誌』(大正2年)「無格社大日神社」
物井区字御山にあり大日霊貴命を祀る八角銅方1尺3寸高3尺5寸にして境内629坪あり岩藤秀敏社掌にして氏子83人管轄廳まで3里なり境内6社あり左の如し

  1. 羽黒神社 稲倉魂命を祭る由緒不詳 石祠あり
  2. 熊野神社 伊弉冉尊伊弉諾尊事解男命を祀る 由緒不詳 石祠なり
  3. 飯綱神社 稲倉魂命を祀る 由緒不詳 石祠なり
  4. 月山神社 月讀命を祀る 由緒不詳 石祠なり
  5. 石高神社 倭建尊を祀る 由緒不詳 石祠なり
  6. 秋葉神社 河具突智尊を祀る 由緒不詳 方一間の組合祠なり 《神社明細帳》

(2)「四街道の神社と寺院」『よつかど第3号』
「無格社熊野大神(中略)由緒不詳(中略)信徒1人」(神社明細帳)
この神社は大正元年同所字御山無格社大日神、同境内神社羽黒神社、熊野神社、飯綱神社、月山神社、石高神社、秋葉神社(以上、金剛寺権現堂より)、同所字新田無格社香取神社、同所字松葉作村社八幡神社、同所字馬場村社大宮神社、同所字郷村社朝日神社を合祀し、村社天照皇太神社と改称する

そして現在も不動堂は天照皇大神社氏子によって護られている。(御山繁盛記終)

  • 参照文献
  1. 櫻井家文書『四街道市史近世編資料集1』
  2. 栗原東洋『四街道町史各論社寺史』四街道市
  3. 相川日出雄『地区探訪』四街道市
  4. 日色義忠「廃寺金剛寺の調査報告」『四街道市の文化財第22号』
  5. 成田山新勝寺『成田山史』
  6. 田中征志「物井不動堂の棟札と金石文」『房総の石仏第25号』
  7. 黒田基樹「戦国期の千葉氏御一家」『千葉いまむかしNo.24』
  8. 外山信司「戦国期千葉氏の元服」『中世東国の政治構造』
  9. 高橋健一「四街道市の近世」期成会講演資料

所在地

  • 千葉県四街道市もねの里3丁目19番地の1
  • 物井駅西口より徒歩30分
  • 千葉内陸バス 物井池花線「もねの里」下車 徒歩10分
  • 千代田公民館となり
  • 駐車場なし
  • トイレなし

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マナーを守りましょう

  • 出発前に文化財の所在地を確認してから出かけましょう。
  • 文化財の中には現在でも信仰の対象になっているものがあります。失礼のないように見学しましょう。
  • 私有地や神社などの建物の中に、無断で入ることのないようにしましょう。
  • 文化財には非公開のものがありますので、事前によく調べるようにしましょう。
  • 個人所有の文化財や、寺社及び仏像などは保管・管理の都合上、見学できないものがあります。
  • 文化財を大切にする気持ち同様、動物や植物も傷つけないようにしましょう。
  • ゴミは思い出といっしょに、家まで持ち帰りましょう。

お問い合わせ

教育委員会教育部社会教育課
「市史編さんだより」まで
電話:043-424-8934
FAX:043-424-8935

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電話:043-424-8927

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