市史研究誌「四街道の歴史」 第10号
更新:2018年7月17日
下志津及周回邨落図(明治11年・クレットマン作成)
目次
口絵
建造中の千代田橋梁(林田重之氏所蔵)
- 大正初期の総武鉄道「四街道停車場」
- 建造中の「千代田橋梁(正式名称)」(明治27年頃・市指定文化財)
- 初代千代田村々長林田辨之助公印(明治22年6月から24年3月に使用)
- 明治7年(1874) 下志津原射的場引渡(国立公文書館所蔵)
四街道市の中世編(4)
四街道市域の中世城郭について・・・遠山 成一
中台城跡縄張図(井上哲朗氏作図)
~中台城跡の位置づけをめぐって~
平成22年から24年にかけて、都市計画道路山梨臼井線の拡幅工事にともなう発掘調査が市内中台字東作で行われました。発掘調査区に隣接して中世城郭の中台城跡があり、発掘の結果、多くの遺構と出土品が検出されています。
中台城跡は、千葉市緑区土気町に源流を発し、印旛沼に北流して注ぐ鹿島川の支流となる小河川を北に臨む、市内中台の標高29メートルの舌状台地先端部に位置します。北東約500メートルには、同じ支谷をはさんで中野戸崎城跡があります(宅地開発により消滅)。先に筆者は、同城跡を馬渡(佐倉市)から山梨(四街道市)方面を結ぶ陸上交通路を抑えるための城としてとらえました。馬渡大内城跡、中野戸崎城跡、東向井城跡の順に、ほぼ700メートルおきの等間隔で対岸の大篠塚城跡(佐倉市大篠塚)と向い合って並んでいます。
本稿では、この中野戸崎城跡と近接する中台城跡(東作遺跡)の位置づけについて、地理的・歴史的背景を中心に他の市内の城跡との関連も含め、長年、房総を中心に中世城郭研究をリードしている”遠山成一”氏にご寄稿いただきました。
- 目次
- 鹿島川の地理的環境
- 四街道市内の城館跡
- 四街道市域の中世
- 縄張構造からみた中台城跡
- まとめにかえて
- 写真:権利者の許可なく転載することは法律により禁じられています
四街道市の中世編(5)
臼井氏一族山梨氏の動向と考察(1)・・・林田 聡嗣
山梨氏家紋 九曜紋
鎌倉~南北朝時代編
今号では、前号「四街道の歴史 第9号 四街道市の中世編(1)」の続編として、上総氏支流臼井氏の当主「臼井四郎成常」から派生した四街道市山梨地区発祥の武士「山梨氏(山無氏)」の、鎌倉から南北朝時代における動向を追ってみます。
臼井氏一族は鎌倉・室町幕府の動乱に翻弄され、没落を繰り返した一族ゆえに遺された歴史的史料は極めて少なく、庶流の山梨氏に関してはさらに希少になっています。その遺されたわずかな資料の中から、山梨氏の動向が少しずつ明らかになってきました。
また”和田義盛の乱”における出自不詳の「成山氏」について考察します。
- 協力:国立歴史民俗博物館・千葉歴史学会中世史部会
- 目次
- 鎌倉武家政権における臼井氏一族
- 吾妻鏡における成山氏一族の考察
- 鎌倉時代における山梨氏の動向と考察
四街道市の近現代編(2)
正岡子規が見た総武鉄道・・・白土 貞夫
明治27年12月9日付 総武鉄道開業広告
~開業120周年を迎えた四街道駅~
千葉県最初の鉄道である総武鉄道は、明治27年(1894)7月20日市川~佐倉間を開業しました。途中駅は船橋・千葉のみで、この四駅が県下最古の駅ということになります。同年12月9日、線路は本所駅まで延長され、同日幕張・四ッ街道の両駅も開設されました。
俳人・正岡子規は「鉄道は風雅の敵」としながらも開通間もない総武鉄道に乗車。佐倉までの日帰り旅行を楽しみ、二十句を詠んで、その紀行を同年12月30日付『日本』新聞に発表しました。
子規の「総武鉄道」は文学的な面からの解説はかなり行われていますが、本稿では主に鉄道に視点を置いての解明を、鉄道研究でその名を知られる”白土貞夫”氏にご寄稿いただきました。
- 本稿:『鉄道ピクトリアル』900号掲載改訂版
- 白土貞夫氏秘蔵資料公開
- 写真:権利者の許可なく転載することは法律により禁じられています
亀崎橋台を走るSL蒸気機関車(昭和39年頃・小林兵之助氏所蔵)
四街道市の近現代編(3)
”軍郷四街道”の真相に迫る(1)・・・大矢 敏夫
天保11年(1840) 下志津原火業場図(『印旛郡誌』より)
~陸軍下志津原射的演習場の幕開け~
戦後70年の今、軍郷四街道への変貌が明らかになる
”私はこの町に重要な軍事施設があったこと、この地から多くの兵隊が戦地に向かって行ったことを誇りに思ってこの一文を表すわけではない。我が国が二度と戦争を起こさないことを願いつつ、「軍郷四街道」がどのようにして誕生し、どのような実態を持つものであったのか、その真実をより正確に究明したいと考えるものである~(中略)~しかし、我が四街道の近代化をもたらした重要な時代であったとすれば、これに目を背けるわけにはいかない。むしろその実態を正確に理解することが、四街道の歴史を語るものの義務である、と考えるようになった・・・”
本稿では今は面影もない軍隊の町が、いったいどのような背景で成立していったのか、クレットマンを始めどのような人びとがここを訪れたのかなど、当市において長年にわたり近世史をリードしてきた”大矢敏夫”氏が、軍郷四街道の”真相”に迫ります。
- 協力
『下志津及周回邨落図』 ルボン山と四ツ街道十字路付近
- 目次
- はじめに
- 伝えられてきた"軍郷四街道"の検証
- "軍郷四街道”は佐倉藩の「町打場」から
- 山縣有朋と西郷隆盛の執念で下志津原に決定
- 下志津原での射的演習の始まり、しかし問題が
- 六方野原にもう一つの演習場が誕生
- 下志津原射的演習場に明治天皇行幸
- 第二次フランス軍事顧問団の来日とルボン
- ルボンの任務と日本の陸軍造兵の発展
- 下志津及周回邨落図とルイ・クレットマン
- 野戦砲兵射的学校の創設と四ッ街道停車場開業
- あとがき
- 写真:権利者の許可なく転載することは法律により禁じられています
- 地図:明治11年(1878)Louis Kreitmann作成 『下志津及周回邨落図
四街道市の近現代編(4)
戦中戦後の学校と地域 ・・・矢部 菊枝
四和小校庭でのトウモロコシ栽培(昭和20年)
”いつぞや、まもなく百歳を迎えようとしていた故・三宅策郎画伯が「百年なんてあっというまですよ」とおっしゃったが~(中略)~せめて自分の見聞きし学んだことや、体験したことを書き留めておきたいと思う”
本稿では、市内域における戦前戦後在住者の聞き取り調査と随想、体験談を中心にご寄稿いただきました。
- 目次
- 明治・大正の頃の四街道
- 学校の校歌などから見える戦中戦後の郷土の様子
- 内容
- 明治・大正生まれの方の証言
- 明治45年に住民で創設した四和小学校
- 大東亜戦争が厳しさを増すとともに
- 警戒警報や空襲警報と空襲下の小学生勤労奉仕
- 夜空の戦闘を目げき
- 疎開児童について
- 戦況の悪化とともに
- 昭和20年8月15日終戦
- 写真:権利者の許可なく転載することは法律により禁じられています
【資料紹介】
大塚常次郎の書簡 ・・・矢嶋 毅之
山梨地区出身の大塚常次郎(『房総人名辞書』より)
”大塚常次郎(1850~1919)は、市域出身の明治~大正期に活躍した政治家であり実業家であった~(中略)~明治・大正期の政治・経済を通じてもっとその功績を評価する必要がある。今回はこうした人物が市域の出身であったことを再確認していただければ幸いである”
本稿では常次郎が成田山の住職である石川照勤に宛てた書簡2通を、近現代史研究において県内をリードしている”矢嶋毅之”氏に紹介いただきます。
- 写真:権利者の許可なく転載することは法律により禁じられています
旭村事務報告書(昭和2年度) ・・・中村 政弘
旭村役場 事務報告書 二色刷り(小川秀雄氏寄贈)
ここに紹介する町村事務報告書は、町村制の規定に基いて町村長が毎年町村会に提出する行政に関する報告書です。
明治21年(1888)4月から、町村制第103条(1911年 改正第113条)により、町村長が予算案を町村会に提出する時に義務づけられ、予算案を審議するための参考資料として重要なものでした。明治30年代までは簡素で、その後、随時内容が細かくなっていっていきました。基準化されているものが多かったのですが、中には町村によって独創的なものもあり、地域の特色がよくでています。昭和22年(1947)5月の地方自治法施行に伴い廃止となりました。
昭和2年(1927)当時の旭村は、戸数802戸、人口4365人、予算2万6786円で、村長が岡田五郎の時代でした。この事務報告書は、後に村長となった旭村々会議員の小川廣三郎が当時所有、同家に伝わっていたものです。
- 写真:権利者の許可なく転載することは法律により禁じられています
【開催報告】千葉経済大学地域経済博物館 企画展
四街道市亀崎 林田家資料について ・・・菅根 幸裕
元禄12年(1699)「相渡シ申證文之事」
~村にあった銀行 林田家~
平成26年2月から3月にかけて、千葉経済大学地域経済博物館にて開催された企画展”四街道市亀崎 林田家資料について ~村にあった銀行 林田家~”における概要を、主導となって企画した”菅根幸裕”氏にご報告いただきました。
- 会場:千葉経済大学地域経済博物館
- 期間:平成26年2月4日(火曜日)から3月15日(土曜日)
- 主催:千葉経済大学地域経済博物館
- 後援:千葉市教育委員会・四街道市教育委員会
- 入館者:198名
- 写真:権利者の許可なく転載することは法律により禁じられています
平成26年度 古文書調査・整理報告 ・・・市史編さん協力員
旧家土蔵調査時のようす
平成19年11月より開始された「四街道市史編さん協力員制度」も昨年で7年が経過しました。これまでに六家の古文書調査・整理に取り組んできました。いずれも、近世に名主などの村役人を勤めてきた家々で、遺された古文書には明治維新後の近代資料も多く含まれています。
これまでの市史編さん協力員による古文書整理の成果については「四街道の歴史」第8号の「井岡家文書が伝える四街道の歴史」でその概要を報告しました。今回はその後の成果、上野地区粟飯原兵左衛門家、稲毛区長沼町島田市兵衛家、亀崎地区林田喜右衛門家、三家の資料概要について報告します。
- 市史編さん協力員随時募集中(見学可能)
- 市内周辺域に関する中近世~近現代文書をお持ちの方で、調査・整理ご希望の方は是非ご一報ください
あとがき(第10号の刊行にあたって)
四街道市史編さん主任 中村政弘
~人は歴史に学ぶことが必要です~
今回は、近現代史を中心にまとめました。今年は戦後70年、四街道町が誕生(1955年3月・旭村と千代田町が合併)して60年にあたります。
”軍郷四街道の真相に迫る”は、四街道の町の形成に重要な役割を果たした陸軍の下志津原射的演習場の誕生に新しい資料を提示したものです。ルボンとルイ・クレットマンの両フランス軍人と市内との結びつきを明らかにしました。
”戦中戦後の学校と地域”は、住民が創設した四和小学校を中心として町のようすが、「戦争体験」者の貴重な証言となっています。
”正岡子規が見た総武鉄道”は、子規を通して四街道駅開設などを記述しています。貴重な写真も紹介しています。なお、ここに紹介されている日刊新聞「日本」は、陸羯南が創刊して国民主義を提唱したものです。
資料紹介として、自由民権運動や衆議院議員として活躍した”大塚常次郎の書簡”を紹介しています。政治家の資料が、なかなか発見されないので貴重なものです。
”四街道市域の中世城郭について”は、中台城についての歴史的背景と街道を抑えるための位置づけなどを明らかにしています。
また、事務局からも近代旭村関連を書かせていただきました。この旭村事務報告書は、当時の村を知るうえで大変重要な歴史資料です。
市史編さん事業では、今後とも四街道の歴史資料などの発掘と情報を発信してゆきたいと考えています。皆様の身近で古文書や明治・大正・昭和各時代の文書、写真、チラシ、パンフレットなどの歴史資料の所在情報などがございましたら、ぜひお知らせください。よろしくお願いします。
- 原稿募集中
市史編さん事業では、市内域に関する歴史的調査・研究等の論文、歴史資料紹介、地域での昔話・民話・体験談などを随時募集しています。なお、「戦後70年」に関する戦中・戦後の体験記録もあわせて原稿の募集をしています。お気軽にお問合せください。
四街道市史編さん主任 中村政弘
販売価格
500円(税込)
- 社会教育課(第二庁舎1階市民ギャラリー隣)のみ販売しています。
- 土曜・日曜日、祝日は販売していません。
- 社会教育課、または市立図書館・公民館にて閲覧可能です。
- 通信販売可能です。詳細はお問い合わせください。
販売所在地
- 〒284-0003 四街道市鹿渡2001番地10
- 四街道市役所第二庁舎1階
- 四街道市教育委員会教育部社会教育課
- 四街道駅より徒歩5分
お問い合わせ
教育委員会教育部 社会教育課
市史研究誌『四街道の歴史』第10号まで
電話:043-424-8934
FAX:043-424-8935
PDF形式のファイルを開くには、Adobe Acrobat Reader DC(旧Adobe Reader)が必要です。
お持ちでない方は、Adobe社から無償でダウンロードできます。
Adobe Acrobat Reader DCのダウンロードへ