四街道の歴史 よもやま話2
更新:2024年4月1日
物井地区御山遺跡の豪華な大刀
物井古墳群とは
開設した物井古墳広場(もねの里2の29番地)2基の円墳保存
印旛沼に注ぐ鹿島川と手繰川に挟まれた物井地区から内黒田地区にまたがる地域には、「物井古墳群」と呼ばれる数多くの古墳が築かれていました。
今回紹介する「御山遺跡」(千代田公民館から物井駅入口十字路周辺)もこの物井古墳群に含まれています。
御山遺跡の概要
現在の御山遺跡周辺(御山A2支群・千代田公民館前)
御山遺跡の発掘調査は、物井地区土地区画整理事業に伴い、旧千葉県文化財センター(現千葉県教育振興財団文化財センター)が行い(昭和59年から60年)、旧石器時代から奈良・平安時代にかけての多くの遺構や遺物が発見されました。
旧石器時代では、約3万年前の環状ブロック、約2,500年前の縄文時代晩期から弥生時代中期の土器集中地点や古墳時代後期から終末期の円墳や方墳などが調査され、この地域の歴史を考える上での貴重な資料となりました。
- 資料:『四街道市御山遺跡』千葉県文化財センター1994
物井古墳群の支群構成 :『四街道市御山遺跡』千葉県文化財センター1994に補足
左)御山A1支群 右) 円墳SX‐015平面図
大刀が納められた古墳
埋葬施設 展開図
御山遺跡で調査された古墳は、六世紀後半から七世紀末頃までの円墳7基と方墳10基で、今回紹介する資料は、調査時にSX‐015と名付けられた直径20メートル程の円墳から発見されました。
墳丘は完全に削平されていましたが、周溝と埋葬施設は残っていました。
大刀は、円墳の南側に位置する箱式石棺を納めた埋葬施設から出土しています。この箱式石棺は長さ2メートル程で、通称「筑波石」と呼ばれる絹雲母片岩を石棺材として使用していました。
蓋石が完全な状態で残っていたおかげで、被葬者の人骨や副葬品が良好に見つかりました。人骨は成人6体分で、人為的に片寄せられていました。
- 資料:『四街道市御山遺跡』千葉県文化財センター1994
御山遺跡sx-015 箱式石棺出土状況
人骨以外に、今回紹介する金銅装の大刀や直刀・鉄鏃などの鉄製品のほか、勾玉・ガラス小玉などの玉類が出土しました。
- 遺物:千葉県教育振興財団文化財センター保管
- 資料:『四街道市御山遺跡』千葉県文化財センター1994
出土した勾玉類
出土したガラス小玉類
豪華な大刀
金銅装頭椎大刀(こんどうそうかぶつちたち)
大刀は、「金銅装頭椎大刀」と呼ばれる飾り大刀で、石棺北壁際に沿って、非常に良好な保存状態で発見されました。全長83センチメートルを測り、刀身はエックス線撮影により確認できました。
柄頭から鞘尻まですべて金銅板によって覆われた豪華な製品で、柄間の金銅板には表裏とも点刻によって唐草文が描かれています。
鞘には4か所足金具が付けられ、2か所の足間には飾り板があり、表面には2個の珠文を並列させた連珠文が打ち出され、個々の珠文の周囲に二重の円文が巡っています。
また、裏面には点刻による唐草文が見られます。
- 遺物:千葉県教育振興財団文化財センター保管
- 資料:『四街道市御山遺跡』千葉県文化財センター1994
鞘の点刻唐草文
柄の点刻唐草文
金銅装頭椎大刀 実測図
飾り大刀の歴史的な意味
調査中の円墳SX‐015箱式石棺
これほど装飾性に満ちた大刀は、通常、大豪族や国造級の大きな前方後円墳に副葬されるのが一般的ですが、御山遺跡は直径20メートルほどの小型の円墳であり、古墳の規模からすれば、中小の豪族の墓としか考えられません。
このような小型の円墳から豪華な飾り大刀が発見された背景には、これを入手することができた状況を考えなければなりません。その解明は非常に困難で、現状では不明といわざるを得えませんが、このような飾り大刀は、当時の大和政権から地方の有力者への下賜品となる可能性も想定されることから、御山遺跡の小型の円墳に埋葬された人物が、大和政権との何らかの関係を有していたことが考えられます。
被葬者が大豪族ではないとすると、大和政権に対して何らかの功績を挙げたことにより、このような豪華な大刀を授かったのではないかと推測します。
出土した前方後円墳(物井古墳群)
発掘調査中の古墳周溝(物井古墳群)
- 文:栗田則久(千葉県教育振興財団)
- 協力:千葉県教育振興財団
- 写真:千葉県教育振興財団・四街道市教育委員会
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