四街道の歴史 よもやま話10
更新:2024年4月1日
古東海道と四街道市
今回は、古代の道路と成山地区に所在する南作遺跡の関わりを考えてみましょう。
奈良時代になると、本格的に律令制が導入され、中央集権化のため様々な行政制度が設けられました。道路網の整備もその一つで、畿内と全ての国を結ぶ「七道」が設定されました。東海道は、この七道の一つです。
奈良時代の東海道は、畿内から太平洋岸を東進し、三浦半島から東京湾を横断して上総国に入り、下総国・常陸国へと北上すると考えられます。上総国から下総国に入ると、河曲(かわわ)駅周辺で、東京湾沿いを北上し市川市の下総国府へつながるルートと、印旛沼東側を通って常陸国へつながるルートに分かれます。
千葉郡の郷の位置と古東海道
当初は、後者のルートが本道でしたが、八〇五年に廃止されたため、この道は「古東海道」と呼ばれています。この道は、現在の国道五一号線に沿っており、成山地区を通っていたと推定されます。
南作遺跡では、三彩陶器や墨書土器など畿内と関連する資料が出土しています。このことは、畿内との物資の往来や畿内有力者の移住を示唆しています。
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