四街道の歴史 よもやま話8
更新:2024年4月1日
~弥生時代の墓と地域交流~
千葉県は西の東京湾と東の太平洋に挟まれ、北側には利根川が江戸時代に東遷されるまで、霞ヶ浦や北浦・印旛沼・手賀沼が一帯となった内海が広がっていました。このため、人々や文化が海上・河川交通によってもたらされました。
四街道市が位置する地域は、印旛沼に注ぐ鹿島川や東京湾に注ぐ都川の河川を利用して、北からの文化や西からの文化がもたらされ、両者が入り交じった興味深い文化が育まれてきました。
弥生時代の東日本では、遺体をいったん土葬し、骨になったものをつぼに入れて再び埋葬する弥生再葬墓という墓制が用いられ、市内でも物井の小屋ノ内遺跡から見つかっています。
小屋ノ内遺跡の弥生再葬墓
やがて、弥生時代中期になると、埋葬施設の周囲を方形で区画するように溝を掘った方形周溝墓が、東海地方から伝わってきました。市内では、小屋ノ内遺跡の近くに所在する馬場No.‐1遺跡でも8基見つかっています。弥生時代の文化の波及を考える上で、重要な遺跡です。
馬場No.-1遺跡の方形周溝墓
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