四街道の歴史 よもやま話13
更新:2024年4月1日
古墳時代の鍛冶
房総では、八千代市などで弥生時代終末期から古墳時代前期の鉄器作り工房跡(鍛冶遺構)が見つかっていますが、数は多くなく、鉄器生産の普及は認められません。しかし、古墳時代中頃(約1600年前)になると、県内各地の遺跡から鉄器生産を示す遺物が見つかっています。今回は、その代表例である四街道市和良比に営まれていた中山遺跡について紹介します。
中山遺跡の位置
【中山遺跡】
発掘調査は昭和59年から60年にかけて行われ、古墳時代中期の竪穴住居跡が5軒検出されています。発掘調査報告書では、うち4軒が鍛冶に関係していると考えられています。このことから、鍛冶技術を持った集団が古墳時代中期にこの地に移住して鉄器作りを行い、短期間でその役目を終えたことが想定されます。
鍛冶遺構平面図
【掘り出されたもの】
鉄器作りを行っていた竪穴住居跡からは、鉄を叩き延ばす際に用いる金床石(かなとこいし)や鉄を叩く際に生じた鉄のクズである鍛造剥片、鍛冶炉に風を送る送風管の役割をする羽口(はぐち)が見つかっています。これらから、ここでは、破損した鉄器などを再生・再利用する鍛冶が行われていたことが想像されます。この時期の羽口は、日常の生活道具である土器の高杯の脚(あし)の部分を転用したものが用いられることが多く、中山遺跡でもいくつかの転用羽口が見つかっています。破損した鉄器の再生や、生活道具の転用など、限られた資源を無駄にしない工夫が伺えます。
高杯転用羽口
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