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四街道の歴史 よもやま話15

更新:2024年4月1日

めずらしいガラス小玉の鋳型

ガラス製の小玉は、弥生時代から製作されるようになり、古墳の副葬品等として使われてきました。近年、その製作技法の研究で注目されているのが、大量のガラス小玉を同時に作れる土製の鋳型です。
鋳型の発見例は全国的に少なく、千葉県内では四街道市川戸下遺跡、木更津市鶴ヶ岡1号墳の2例しかありません。

【川戸下遺跡】
鹿島川と小名木川の合流地点を北東に望む、四街道市山梨字川戸下の台地上ある遺跡で、送電線の建替え工事に伴って、昭和54年に発掘調査されました。調査では4世紀代の竪穴住居跡が3軒確認され、そのうちの1軒から鋳型が出土しました。この住居は土器などの日常用品がほとんどみとめられないこと、大きさも他の住居よりかなり小さいことなどから、ガラス小玉の製作工房跡と考えられています。

【土製のガラス小玉鋳型】
鋳型は、住居の床面上に散らばった状態でみつかりました。接合した結果、全体の半分以上が残る良好な資料でした。また、孔の部分をよく観察すると、青色のガラス片が付着しており、ガラス小玉の鋳型であることがわかりました。鋳型の孔は円形で、直径・深さとも4ミリとほぼ一定で、先端が平坦な棒状工具により開けられたようです。孔の底中央には、細い芯材を突き刺した跡が残っています。孔の中央にピンのような芯材を立て、そこに砕いたガラス片を入れ、鋳型を熱するとガラスが溶け、中央に孔の開いた丸いガラス小玉が完成します。
孔は、縦横に規則的に配置され、横方向21孔、縦方向25孔が確認されます。想定復元によると、縦が27孔以上になり、縦と横が同じ数だとすると、一度に700点以上のガラス玉を製作することができます。
この製作技法は、朝鮮半島の百済から4世紀ごろに日本にもたらされたものと考えられ、四街道の地にも百済系の工人がいたことを示す貴重な資料ではないでしょうか。
参考文献 酒巻ほか2011 「四街道市川戸下遺跡出土ガラス小玉鋳型の再検討」『研究紀要8』 印旛郡市文化財センター

川戸下遺跡
ガラス小玉鋳型

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